辞書で「価値」を引くと、まず「その事物がどのくらい役に立つかの度合い。値打ち」とある。
役に立つ対象はおそらく人や社会で間違い無いだろう。
経済学では、「商品が持つ交換価値の本質とされるもの」とある。お金の概念だ。
哲学では、「あらゆる個人・社会を通じて常に承認されるべき絶対性をもった性質」だ。
真善美は3つ目の絶対性を持った性質だ。
「真」は学問や知性の、「善」は道徳や意思の、「美」は芸術や感性の、理想の姿を示す。
ここにはお金の概念は出てこない。あくまでも人や社会にとってありたい姿を現している。
これまで、価値起点で事業を考えると常に発信してきた。もう一度価値に向き合う必要がありそうだ。
さて、我々はこれからどんな価値を追求して行くか。
楽しく仕事をして、周りの沢山の人から笑顔をもらって、お金も頂き、楽しく暮らしている。
こういう人が集まれば、それぞれの人も、沢山の人の交わりである社会も豊かな感じがする。
徳のある慮る気持ちで、知恵を絞り、五感に問いかける。その結果としての豊かさだ。
悩ましいのは、笑顔や豊かさの程度を直接測れないこと。一方、お金は測れる。
ついつい、程度を測れるお金で競いたくなる。年収や資産で豊かさを測ってしまう。
でも、よく考えると、人の活動にはお金を頂くものと、頂かないものがある。
沢山の笑顔を生んでいても、お金を頂かないものもある。「それでいい」という人がいる。
昔の沢山採れた野菜や果物のお裾分け。これも対価を求めない。お裾分けのお返しも求めていない。
今の社会、供給者と需要者がお金の繋がりになりすぎたかもしれない。世知辛い。
あの人にはいつもお世話になっている。何かお役に立てることが無いかな?仲間を思うこの気持ち。
対価を伴わない価値。この価値をみんなが楽しむ。対価のある価値との良いバランスを作りたい。