20代の頃は会社という組織は意思を持って決めるのは上の人の役目だと思っていた。
実際、何をやるべきか指示があるまで分からないことすらあったと思う。
もちろん、お客さんのところに行けば何らかの指示は貰えた。でも目的は見にくかった。
しばらくして、プロジェクトが炎上気味になると、上の人からの指示が出てくる。
最初は違和感はあまりなかったが、次第に大分遠回りのことをしていると感じた。
どうして初めからここを目指したいというゴールがないなのだろうか。そう思った。
と同時に、ゴールは初めからあったのではとも感じるようになってきた。
抽象度は高かったかもしれないが、単純に自分自身には分からなかっただけかもしれない。
お客さんが言語化しにくかった、こちら側の汲み取り方が悪かった。色々な理由がある。
場合によっては、上の人が、自分で気づくのを成長のために待っていたのかもしれない。
いずれにしても、一定の時間をかけて共通認識と具体化が進んでいく。そんな感じだ。
意思を固めていくお客さん、上の人の汲み取り、自分の妄想が進化していくのだ。
ふと気づいた。これはお客さんが目指しているゴールを想像することから始まる。
そして、ある程度ゴールが見えてきて、それをお客さんにぶつけてみるのだ。
すると、ゴールの解像度が一気に上がる。お客さんと自分の両方の解像度だ。
さらに、そのゴールを目指すなら、自分はこういう道のりを取りたいと意志が生まれる。
それをお客さんにぶつけると、ぐっとお客さんの視野や感覚に近付いていく。気持ちが分かる。
対話に共鳴が生まれ始める。どちらかの出した仮説を叩きながら鍛えていく。
意志が意思を呼び、仮説に自信が生まれてくる。同時に壁も見つかることがある。
そうしたら今度は壁の撃破だ。こんな感じになると、実効性のある意志が固まっていく気がする。