生み出せる価値の大きさ

高い理想を掲げた完璧主義。ある意味、自分自身もそうなろうと努力していた。
常に自分が正しいと考える理想の姿を見据えて、そこになんとか近づく努力をしてきた。
その理想の姿は周囲になかなか伝わらず、ギクシャクした雰囲気になることもあった。
それでも、掲げた理想を信じて、貫く。特に若い頃はそんなこだわりがあったと思う。

その後、少し努力の仕方が変わっていった。理想の姿を早い段階で伝えるようにした。
抽象度を高くして、シンプルに伝える。そんなことを必死にやった記憶がある。
もちろん、具体度を高めた例示にも気を使った。すると、ギクシャクが少なくなった。
さらに、理想の姿に近づく程度が上がった。近づくスピードも早くなったと思う。

一緒に進めるメンバーと理想の姿を共有する。共有できたら真っ直ぐ進んでいく。
こんな状態にもっていけると、生み出せる価値が増大した。個々の力が引き出せた。
そうなってくると、さらに挑戦したくなった。理想の姿をストレッチすることだ。
やることは同じだが、具体の例示を減らし、メンバーの持つ力を引き出そうとした。

自らの経験とメンバーの経験を梃子にした多様性のある理想の姿を追求するようになった。
多様な視点が入ることで、多様な人が受け入れたくなる理想の姿へと変わっていった。
価値の大きさが大きくなっていった。より多くの人に届く価値へと変化していったと思う。
ふと振り返ると、自分が正しいと考えていた理想の姿が小さく閉じたものに見えた。

理想の姿とは、色々な人がこんな社会にしたかったと思える姿だ。画一的なものではない。
大事なことは、排他的にならない事。誰かの理想の社会が他の人の理想ではない社会にならない事。
個々人が理想と思えた事の総量が大きい社会だ。多様性を包含することが理想なのだ。
価値の大きさは総量で捉える。多様なメンバーで多様な価値を紡いでいきたいと思っている。