互助の意味合い。

助け合うこと。それぞれが抱える生活課題を、お互いが解決し合う力を言う。
近い言葉に、自発的に行う自助、年金などの共助、生活保護などの公助がある。
負の状態からの解消を目的としたものとして、捉えられていることが多い。
自助を互助で支え、互助で難しい場合には共助、それでも難しければ公助となる。

互助という言葉は、同じ目的を持った人々がその目的を成し遂げるためにも使われる。
失ってはならないものを守るなど、目的は社会的に意義があるものである場合が多い。
SDGsもそうだが、誰もが豊かに暮らせる社会を実現したいという感覚だ。
チームを組み、互いの能力を組み合わせ、足し合わせることで素早く実現していく。

ただ、こうした活動はどうしても収益につながり難い。ボランティアと捉えがちだ。
お金を使って何とかしてあげる。確かにこれだけではコストにしかならない。
大事なことは、誰もが豊かに暮らせる社会をどう捉えていくべきなのかという事だろう。
付加価値を生み出す人を増やす、生み出す頻度を高める。こんなことが必要な気がする。

付加価値を生み出すには、買ってくれる人が必要になる。双方の合意もいるが、買い手は不可欠だ。
そして、付加価値が沢山生まれている状態は、「買う」や「買い合う」が沢山ある状態だ。
誰もがどんなに小さくてもいいので、付加価値を生んで、それを買う。ここが大事な気がする。
可能な限り「買い合う」という輪の中に、全ての人に入ってもらう。対価は高いほうがいい。

それぞれの人のできることを、価値として捉える。対価をつける。みんなが能動的にやる。
それが本当の意味で互助のような気がする。価値付けをし合う。価値を見出し合う。
ともすると、「少しでも安く」を求めている時代。この意識の転換が必要だ。
この時代の生活課題は、価値の幅を広げること、価値を高く捉えることだ。実現していきたい。