アナログオーディオ

高校、大学の頃、ちょっとしたオーディオマニアだった。一丁前にもバラコンだ。
アンプはサンスイ、チューナーはトリオ、レコードはテクニクス、スピーカーはダイアトーン。
カセットデッキはダビングもしたくて、2つあった。オートリバースのTEACと、AKAIだ。
オーディオ雑誌の評価を漁って入念に準備をして、バイト代が溜まる度に買い揃えていった。

音の良さを堪能できる部屋はもちろんなかった。完成したコンポとは不釣り合いな空間だった。
でも、部屋を暗くして、コンポにスイッチを入れるとなかなかの雰囲気が味わえた。
それぞれ異なる表示部の灯りを眺めながら、ニンマリと音楽を聞くことができた。ゆとりの時間だ。
カセットが裏面に自動で切り替わる時に鳴る機械音を耳にすると、なぜか不思議な優越感を味わえた。

当時は、貸しレコードか、音源の良いFMから好きな曲を録音するエアチェックが当たり前だった。
FM雑誌が何種類もあり、何時何分にどんな曲がかかるかを調べ、録音ボタンを押したものだ。
録り溜めた曲の中から、テーマに沿った好きな曲を選び、順番に並べて自作テープを完成させた。
手作りテープは時間も掛かり、センスも必要だった。それ故にプレゼントにしていた強者もいた。

それから、次第にCDが普及し始め、録音が一気に楽になった。貸しレコードは貸しCDになった。
文字通りアナログ感は消えて、デジタルとなり、なんでもボタンだけで済むようになった。
それと同時に、音楽は簡単に楽しめるようなものになり、だんだん思い入れが少なくなっていった。
もちろん、ipodにも飛びついた。でもカセットのウォークマンの時のような感動はなかった気がする。

人生後半に入り、年齢を重ねたきたが故の懐古主義なのかとも思う。でも、少し違う感じもしている。
ゆとりの時間は、手を動かしたり、時間をかけたりすることで、初めて生み出されるのかもしれない。
一連の丁寧な行為があることで、想いが生まれてくる。その想いを誰かと共有したくなるのだ。
京都オフィスにはアナログレコードを揃えた。ゆとりの時間を育む仕掛けを増やしていきたい。