これまで一番使ってきた本は恐らく国語辞典だと思う。ほぼ毎日使っている。
用途はもちろん、「言葉の意味を調べる」だ。以前は本当にパラパラと調べていた。
今となっては、ネットやアプリの辞書を使っているが、とにかくよく使う。
言葉の意味を間違えて捉えると、その後の思考の全てが無駄になると思うからだ。
例えば、儀式は、「特定の信仰、信条、宗教によって、一定の形式、ルールに基づいて人間が行う、日常生活での行為とは異なる特別な行為」とある。頭が動き始める。
「特別な行為」とあるのはなぜだろう。何を目的にして執り行うものなのだろうか。
形式やルールの部分は、その儀式がそれとわかるために定義されたと解釈できる。
であれば、その目的とそれぞれの形式やルールがどう紐づいているのかが気になる。
なぜその形式やルールが選ばれたのかも知りたくなる。こうして深い理解を始める。
そして、妄想が始まる。現代でその儀式を作るならどんな形式やルールでやるのがいいか。
儀式の受け手は明らかに変化している。現代の意味合いに翻訳して、表現する必要がある。
振り返ると、これまで国語辞典を色々物事を考える時の拠り所、出発点として活用してきた。
常に、言葉の意味を起点に、その言葉を使った人に問いかけ、考えを掘り下げていく。
道中で、言葉の選択が端的でないことにも気づく。その時は、的確な言葉を炙りだしてきた。
そこでの対話がお互いの理解を圧倒的に深めてくれる。目的の本質が見えてくるのだ。
まだ辞書には載っていないが、最近の言葉に「デジタル・トランスフォーメーション」がある。
「デジタル技術を社会に浸透させて人々の生活をより良いものへと変革すること」とある。
ここで大事なことは「変革」だ。ある意味、非連続な変化、明らかに変わることが求められる。
何をやるにも、言葉の定義に立ち戻ることが大事だと思う。真のゴールが見据えられる。