歴史を振り返ると色々と感じることがある。人々のとてつもない進化を感じることができる。
ひと昔であれば、SFとされていたことも、いつの間にか誰でも使える道具として存在している。
例えば、伝える能力の進化だ。蓄音機による録音から始まり、いまでは映像も録画できる。
CGを使えば、現実に存在しないシーンを表現することさえできる。それも2次元でなく3次元でだ。
活版印刷など、言葉を文字にして残すことから始まり、今では文脈を含めた検索が実現されている。
AIが人の認知機能の一部を模倣するような形で、自動的に意味のタグをつけることができる。
無数の場所を監視して、問題のあるところだけを抽出して人に伝えることもできるようになった。
リアルタイムでの出来事、記憶の中の出来事を、自由自在にタイミングよく引き出すこともできる。
まさに、異次元の見える化が実現されている。人海戦術が必要で諦めていたことはもう一人仕事だ。
様々な場所や時間に起きている事を構造化されたファクトとして整理ができるようになっている。
これまでなら、たまたま気づいたことへの対処、うまく勘を働かせての対処だったものが今は違う。
俯瞰して客観的かつ合理的な判断ができる。その判断をするための情報を自動的に手に入れられる。
人は、集められたファクトから判断をしていく。でも集まるファクトが多いと全てはできない。
「こんな時はこうする」が決まっている簡単な判断は、自動化の対象となる。勝手にやってもらう。
より広い視野で考えなくてはならない色々な事と複雑に絡み合うことは、人がやらなければならない。
個別に整理された論点を冷静に束ねながら、自らの意思でリスクも取りながら責任のある判断をする。
例えばものづくりでは、異常の監視といった簡単なことから、色々な事が絡み合った意思決定がある。
特に、新たな価値の創出が求められている昨今では、複雑なのに素早い意思決定が必要となってきた。
より顧客から大きな対価をもらえる価値を、CO2、原価、要素技術、SDGsなどを踏まえて企画する。
しかも同時に考えないとうまくいかない。デジタルの助手をたくさん使って考える時がきたと思う。