法律。

人ではなく、法によって国を治める。中国で始まり、日本にもやってきた手法だ。
誰もが法の下に平等であり、法に触れない限り、自由でもある。よく考え出したものだ。
昔からそれぞれの個人は、それぞれの思う正しいことを持って行動していた。
人を傷つけないという今では当たり前のことでも、そうでないと考えていた時代もあった。

この正義のための犠牲ならやむを得ない。いまでもまだ残っている感覚かもしれない。
こうした犠牲を少しでもなくすために、色々な議論がなされ、新しい法律が生まれてきた。
正しいこと、正しくないことを、全ての人に共有するために、法律はあるのだと思う。
社会で生きる上での共通の判断基準となり、秩序が生まれる。法の上の創意工夫となる。

人はそれぞれ別々の視野で生きている。視座も入れると3次元でバラバラの世界を感じている。
故に、人それぞれで判断が異なるのだ。見ているファクトや情報が異なるのだから結論も変わる。
誰が正しいではなく、判断に使う情報が異なるから結論も違うのだ。合理的に異なるのだ。
法律はそれぞれの人が判断に使う情報の差異を埋めるためにあると言ってもいいと思う。

難しいのは、それぞれの人の視野と視座が異なるので、法律に対する反応や評価も異なるのだ。
もちろん、守らなければいけないとは分かっているが、なぜその法律が大事なのかの理解は異なる。
もしかしたら、その理解の相違が法律に対する向き合い方を変えているのかもしれない。
法律には解釈が付き纏い、どこかで作ったときの思想が捻じ曲がっていくこともあるのだろう。

とはいえ、法律なしにはこの世の中を持続的にすることはできないのは間違いない。
おそらく、分け隔てのない新たな社会も、新たな法律が起点となって生み出されていくのだろう。
表面の事象のみならず、背後にあるストーリーとセットとなった法律が作られるかもしれない。
逆に、絶対に曲げてはいけない本質にしぼったシンプルな法律になるだろうか。なかなか難しい。