支えるが主体。

思えば大学の頃から変わらないような気がする。誰かを支えるのが好きだった。
世界一を目指す教授と、その細かな指摘に困っていた学生との間に入っていた。
学生は博士論文を書いている先輩だったが、かなり難儀をしていた。
教授と先輩の間に入って、翻訳者となり、作業者となり、論文作成を支えた。

何人かの先輩の博士論文のお手伝いをする中で、色々なことが学べたような気がする。
いつのまにか、自分の博士論文のタイミングがきたが、既に新たな挑戦ではなかった。
何をすれば、どこまで到達すればいいのかの当たりがついていたのだ。有り難かった。
もちろん、いざというタイミングにはナーバスにもなったが、無事に博士を取得できた。

コンサルティング会社に入ったのも、お客さんを支えたいと思ったからのような気がする。
コンサルタントの大先輩に憧れていたのももう一つの理由だ。能力の大きさが計れなかった。
日々の仕事はお客さんのやりたいことを伺って、それを具体に落としていくというものだ。
なぜその具体がいいのか、しっかりと腹落ちしてもらうところも役割だった。

さらに、お客さんがそれをやりたいと思うまでが仕事だ。前例や具体性の高さが大事だった。
ここまででも、お客さんを支えているのだが、実際は翻訳者の役割も常にあった。
お客さんの中にも多様な意見があり、その間に立って、互いの大事な部分を橋渡しした。
そうしたことの積み重ねで大きな組織が一丸となって動き出す。大変な積み重ねだ。

最近は、世の中で新しい価値が必要になってきた。社会の利益が大事になってきた。
そんな中で、関わる人も多くなり、それを束ねるには新たな構想が必要になってきた。
支えるためにやるべき事がだいぶ増えた気がする。複雑な社会、停滞した社会だから当然だ。
やりたい事を引き出し、翻訳者となる。ある時は構想家となり引っ張る。支え手として頑張りたい。