経験と勘

これまでどんな経験をしただろうか。小中では水泳、合唱、陸上、英語劇などの部活に入っていた。
自らの身体能力を高めたり、大人数で何かを成し遂げたりする中で、いろいろな経験をしてきた。
失敗の経験もあれば、成功の経験もある。失敗の要因を避け、成功の要因を持つようにしてきた。
どんなことでも、そうした経験を積み重ねる中で、いつの間にか大きな成長を実現してきた。

ただ、何をやるにも、調べるのがあまり好きではなかったので、我流で進めることが多かった。
今ほど情報は氾濫していなかったし、何より自分のやり方で解を導くのが楽しかった気がする。
すぐにうまくいくものもあった。いつまで経っても全くうまくいかないものもあったと思う。
そんな時でさえ正解を学びにいくことは少なかった。飽きて、関わらなくなることの方が多かった。

こんな状況なので、正解がきっちりあるものでも、あるレベルで進化が止まることもあった。
正解を学べば、必ず進化への糸口は開けるとは思うものの、正解をなぞることに魅力がなかった。
結果、次から次へと色々なことに挑戦し、経験と共に、それなりのレベルまで達成することが増えた。
ただ、当たり前だが、超一流というレベルに行けるものはほぼ出てこなかった。残念ではある。

でも、視野は広くなった。類推も色々なパターンで効くようになった。経験が昇華したのだろうか。
言い換えれば、勘が働くようになったと思う。完全に同じでなくとも、大体分かる感覚が持てた。
経験が無数の型に変換され、目の前に現れたものにも含まれる型を瞬時に見つけられるようになった。
直感とも変わらない速度でピンとくるようになった。これは果たして勘のメカニズムなのだろうか。

右脳の人は頭の中に突然何かが湧いてくると聞く。デザインの世界に触れるとそれが分かる気がする。
こうした勘があると、経験の蓄積とは異なるスピードで突然成長できる。天才〇〇がそれだ。
勘で始まり、勘が続き、経験も使われて、突き抜けた成長が実現される。そんな感じだろうか。
勘には2つの意味があるのかもしれない。経験が昇華された勘と、直感の勘だ。後者に興味が湧く。