博覧会の歴史

博物館で特別展が開かれていた。博覧会の歴史を学べる貴重な機会となった。
1851年のロンドン万博。世界で最初に開催された国際博覧会だ。場所はハイドパークだ。
141日間で604万人の来場があり、メイン会場のクリスタルパレスは人で埋め尽くされたという。
印刷技術の発達により情報が広く伝わり、鉄道技術の発達により移動が便利になったからだ。

ロンドン万博は産業革命で生み出したイギリスの圧倒的な工業力を世界に知らしめることになった。
それだけでなく、ビジネス的にも大成功をして、莫大な収益をイギリスにもたらしたという。
それを元に作ったのがヴィクトリア&アルバート美術館や科学博物館、ロイヤルアルバートホールだ。
160年以上たったいまでも残る貴重な文化施設となっている。交易と文化を大きく前進させたのだ。

二番目の国際博覧会は1855年にパリで開かれた。34ヶ国が参加して、516万人が来場した。
パリ万博も大きな成功を果たしたが、調べてみるとロンドン万博ほどの収益は上がらなかったようだ。
1867年のパリ万博は、日本が始めて参加した万博だ。42ヶ国が参加し、1500万人が来場した。
日本が世界の中でしっかりと地位を築くためには、産業が必要だと強く感じる機会になったようだ。

しばらくして、日本も万博開催を目指すようになった。幾つかの戦争を経てその想いは強くなった。
しかしながら、第二次世界大戦前に3回の計画があったが、一度も実現されることはなかった。
3回目の候補地は、東京の月島だった。月島は東京の港を作るときに出た土を盛ってできた島だ。
当時は産業集積地として発展していた。水路を使った貿易という墨田区のルーツに触れた気がした。

戦後、大阪万博が開かれた。太陽の塔がいまもなお万博記念公園で異彩をはなっている。
つくば万博、愛知万博など、日本も様々な万博を開くようになった。2025年は再び大阪万博だ。
近年の万博は、経済波及効果が謳われている。チケット収入では利益は出ない構造だ。
人や物の移動を生み出し、経済全体が潤う効果を狙う。そろそろ新たな構想が必要かもしれない。