「どれくらい大切か、またどれくらい役に立つかという程度。またその大切さ。ねうち」とある。
ねうちというものはどう決まるのだろうか。相場という言葉がまずは浮かぶ。
これまでにそれはどのくらいの価格で取引されてきたのか。いわゆる過去事例だ。
既に取引の対象が人々がある程度認知できるものとなっていることが必要となる。
それの一番最初の取引で、公になったものが一つの基準になるだろう。次はそれを参考にする。
オークションというのもある。これはある特定の個人がどのくらいのねうちと見るかできる。
競争心みたいなもので、想定以上のねうちとなるケースも存在する。相場とかけ離れる場合もある。
著名人のサイン入りなどの一品ものとかに多く、まさに信じられないくらいの価格がつく。
いずれにせよ、需要と供給のバランスが勝負だ。当たり前だが需要過多は高値になる。
逆に供給過多はずるずると値が下がっていく。これは経済原理であり、変え難いものだ。
別の言い方をすると、ねうちとは個々人で異なるものだと思う。個々人がどう感じるかだ。
例外もあるが、ねうちがあると感じる人が多ければ高値となり、少なければ安値となる。
例外とはなんだろう。それは絶対値で考えるねうちだ。相場やオークションとは関係のない世界だ。
これにはこれだけ払ってもいい。いや払いたい。そんな感じだろうか。他にもある。
なんらかのものに価値を見出した場合も同様だ。これは大きな価値だからこの値付けにすべきだ。
こんな感じだ。新価値を創造して新たに価格を決める感じとも近いかもしれない。
もしくは、使わないと減ってしまう通貨を、減るぐらいなら何かに使いたい。そんな時に起こる。
減るくらいなら身の回りの価値のあるもので価値づけできてなかったものを探すと言う感じだ。
いつも通りのゴミ掃除をしてくれている人にお礼を込めて通貨を差し上げる。なんでもいい。
いわゆる感謝の気持ちだ。そうだ。価値の大きさや値付けはもっと多様であるべきだ。間違いない。