目線。

志を持つこと、それを貫くことは大事だ。と同時に茨の道でもある。
現実世界では志通りになどもの事は進むことなどない。周りは壁だらけだ。
志を総論では賛成してくれる場合でも、各論になると積極性が消える。
この状態では志に進むことなど簡単ではない。だからまずはこの一歩から。

こんな感じで志を一度置きながら前に進むことを決意する。最初は嫌々だ。
前に進むと足元での成果は生まれる。それが認められるようになる。
すると、足元で生み出せる次の成果に目がいく。それをやり始める。
また成果が生まれる。周囲との関係性も含めてどんどん良くなっていく。

一見、とても良いことのように見える。でもここに大きな落とし穴がある。
足元の成果がとても良いものに思えてしまうことだ。本当にそうだろうか。
もちろん、いくつかの成果が生まれ、周囲との信頼関係も出来ている。
でも、志に照らしたらどう評価できるだろうか。志に近づいたのだろうか。

まず一歩は、3回続けても次のステップにはいけない。周囲は成長しただろうか。
足元の成果を生めた事は成長を促すが、同時に、これをやればいいとなってしまう。
志の深い理解も、志に向かう意欲も、志への次のステップも描くことが難しくなる。
成果は心地よく、周囲で祝えるからだ。一方で志への道は茨の道である。

要は目線だ。目線は常に高く持たなくてはいけない。一度下げるのはありだ。
でも、下げることに慣れるともう高い目線には戻れない。慣れてしまうのだ。
目線が高くなければ大きな成果、新たな世界を切り拓くことなどできない。
故に、付加価値は低く。志への道は絶たれる。高い付加価値が当たり前の目線が必要だ。