色々な社会でロボットが人を助けている。身体の部分もそうだが脳もそうだ。
例えば移動。古くは馬や牛だったが、今や車や電車が主流でドローンも活躍しようとしている。
しかも、中国やアメリカ西海岸では自動運転タクシーなるものが運行されている。
遥か未来だと思っていた技術だが、違和感のない生活のシーンとして成立し始めた。
脳ではなんといっても生成AIだ。物知りの助手と対話をするかの如く、使える。
文章でのやり取りのみならず、音楽や絵、プレゼン、なんでも扱うことができる。
実力は賛否両論あると思うが、守備範囲なら人のそれを越え始めたと言って良い。
学習速度の圧倒的な速さを鑑みると、早々に満足のいくレベルに到達するだろう。
お弁当作りなど、非定型物を取り扱う軽作業を人と同じように行うロボットもある。
しかも、人の隣で作業をしても安全な仕様だ。ぶつかっても柔らかくいなしてくれる。
そして、ぶつかったことがまるでなかったように、作業に戻る。かなりスムーズだ。
今日はバイトが一人休んだので、代わりにロボットを呼ぼう。簡単に想像できる。
ここで悩ましいのが、人のやっている作業をなくすのが良いのか、残すのが良いのかだ。
筋肉を使う重く辛い作業は無くしたいのはいうまでもない。ではそれ以外はどうするか。
例えば匠の手仕事はどうだろうか。手仕事を進化させるなら完全代替は良くないだろう。
人がやり続ける中で更なる極みに辿り着くはずだ。周辺業務の代替は良さそうだ。
では単純作業の繰り返しはどうだろうか。これは人がやるのがかなり辛い業務だ。
ここはぜひ代替したいと思う人と、そうでないと考える人がいるような気がする。
前者は別の業務に就くことに挑戦する人だ。後者は収入を得るためと割り切る人だろう。
そうか、ロボットは色々な選択肢があるのが良いのかもしれない。世界は多様であるべきだろう。