何かをやろうと考える時はフィールドをまず考える。場面設定と言っても良い。
どんな新しいシーンを作りたいのかを考える感じだ。小さな社会を生み出すのだ。
となると、登場する主役がある。ロボットでも、職人でも、やりたい事の主人公だ。
もちろん主人公だけでは足りない。脇役や舞台がどうしても必要になる。
場面設定は切り取るとは異なる。切り取るのではなく、真っ新な空間に足すイメージだ。
故に、多くの場合に空間が貧弱になる。なんかとても密度がなく寂しい感じだ。
ここで逆に感じるのは、社会がとてもたくさんのものの組み合わせで構成されていること。
当たり前だが、色々な人やものが登場して、重なり合って相互に影響している。
その社会の成り立ちを考えながら、新たな場面は今ある社会のどこに近いかを考える。
この辺りから切り取りが始まる。あの社会のここにこれをポトンと落としたらどうなるか。
そんな感覚で社会に揺らぎを加えてみる。小さな変化になるのか大きなトリガーになるのか。
場面が決まり、そこに落とすものが決まり、落とした後の変化を妄想するのだ。
社会は既に存在する。それも大きい。どこに着目してどう切り取るかの勝負だ。
もちろん、ただ切り取ればいいわけではない。良い変化もしくは変革を起こすのが目的だ。
やりたいことと、起こしたい変化・変革を行ったり着たりしながら、切り取りを落ち着かせる。
そして、まずはやってみる。その結果が妄想通りかを見極めて、修正をする。続ける。
切り取るは頭の中でぐちゃぐちゃと、あーでもないこうでもないと妄想を展開すること。
しっくりとくる。ビジネスで言えば、十分な欲求があり、経済合理性が満たせるか。
この試行錯誤をなかなか文字に表現するのは難しい。本当に難しい。
まあ、要は組み合わせだとは思う。でも組み合わせの妙という言葉もある。奥が深いのは間違いない。