視野を広げる。常日頃から考えていることだ。意識すれば誰でもできる。
例えば、地元のことを考えている時に、隣の街、県、地方、日本、地球。
こんな感じで自分の街だけでなく、周囲への影響を考えれば良いからだ。
水資源、ゴミ問題。どんな話題でも視野を広げると、導き出される答えが変わる。
要は、人は自分の見えている範囲で部分最適を追い求める習性があると思う。
特に、自分の利害関係に関わる部分においては、部分最適を生める範囲を見つけにいく。
これは無意識と言っても良い感覚だと思う。故に、視野を広げるには意志がいるのだ。
強く意識することで初めて周囲を含めた大きな部分最適や全体最適に近づく。
自分が思う正しいこと、そのロジックというものも、時には全体最適を邪魔する。
例えば、何事に向き合うにも、その目的を強く意識して真っ直ぐに進むという思想がある。
この思想はその目的に共感したなら、寄り道をしないで突き進むことを求めてしまう。
要は全ての活動で目的へのベクトルが揃っていることを求め、そうでない活動を疑問視する。
可能な限り、目的の達成に役立つ向きの揃った活動を沢山、より大きな活動を求める。
論理的ではあるのだが、どこかで意外性のようなもの、心の準備のようなものを阻害する。
簡単に言うと、ギスギスしてしまうのだ。いつの間に自由度が減っている空間になっている。
そうなると、目的には共感するけど、何かつまらない。そんな空気感が漂う。
でも、自由度を上げれば上げるほど、活動のベクトルは多様になり、纏まりは無くなる。
要はバランスなのだが、これが本当に難しい。視野を広げれば広げるほど、正解がなくなるのだ。
自己組織化という概念には強制や矯正という意味合いは全くない。無意識の活動かもしれない。
おおらかな精神の下に、活動のベクトルをある程度揃える。そんな神技をもう少し模索しようと思う。