伝える。

新幹線の浜松駅に行くと、ピアノと車とバイクの展示がある。あ、そういう街なんだと感じる。
しかも、ピアノに関しては、自由に弾いてよいとくる。実際に弾いている人がいる。
さすが音楽の街だけに、弾き始める人が多い。そして、演奏が素晴らしい。
演奏に聞き入ってしまうことすらある。楽器ができたらなんと豊かだろうとも思う。

ビジネスで来る人の中には、こんな想いを抱く人は意外と多いのではないだろうか。
駅ではなく、繁華街はどうなのだろうか。住民の集う場所にもピアノはあるのだろうか。
統計などが仮にあったら、公共の場のピアノの数は浜松が一番多いかもしれない。
さらに、それらのピアノが使われている時間は最も長いのではないだろうか。

通り過ぎる時に目に入る。そこには人が居て、弾いている。空いていれば気持ちが動く。
これはピアノに刺激を受ける日常だ。音楽の素晴らしさを思い出させてくれる日常だ。
恐らくバイクも同じだ。でも少し違うのは跨ることくらいはできても、運転はできない。
眺めて、憧れるのが精一杯の状態だ。免許はいるし、そもそもテストコースはない。

気軽に手を触れられる日常。いつかはと憧れる日常。どちらもなかなか良さそうだ。
あ、でも浜松の人は楽器を趣味や仕事にしている人が多いのだろうか。バイクはどうだろう。
ホールの数やコンサートの数はどうだろう。小中学校でも発表会が多くありそうだ。
バイクは中高年の趣味として絶大の人気を誇っているのかもしれない。ツーリングコースもある。

日常の中で繰り返し繰り返し、触れる機会がある。次第に当たり前の存在と刷り込まれていく。
こんな形の「伝える」はとても素晴らしいと感じる。それぞれの人の中で大事なものになる。
流行りとかそういうものではなくて、それぞれの人の拠り所の一つとして存在するのだと思う。
浜松には演劇、プラモデル、お茶もある。日常のあちこちに出てきたらとても素敵だと感じている。