以前から、プラットフォームを作ろうという取り組みをたくさん耳にする。
多くの事業企画書にこの言葉が出てくる。その意味合いは2つあるような気がする。
一つは、ものづくりなどの世界で、製品や生産の基盤となる仕組みや骨格だ。
多様なものを生み出すために、プラットフォームとそれの上に載せるものに分ける考え方だ。
モジュール化と言われている仕組みもプラットフォームの考えと通じるものがある。
生み出す製品のバリエーションに依らず、同じものを使うというルールを持っている。
それが故に、ある範囲内の製品であれば、素早くそして安価に生み出すことができるのだ。
ただ、こうしたプラットフォームは、作った会社に閉じた取り組みであることが多い。
独自のプラットフォームがあることがその会社の強みであり、それを梃子に成長している。
そのプラットフォームの対応力をアップデートしながら、独自の競争力を維持しているのだ。
もう一つのプラットフォームは、オープンなプラットフォームだ。誰でも使えるものだ。
というより、初めから誰もが使えるように作られている。使われる中で進化も果たす。
多様かつ量の多いニーズのひと塊を対象にする。その塊をシンプルに表現して人を惹きつける。
検索ならグーグル。そんな感じだ。ソフトウェアでなく、モノが絡むなら、例えば電動だ。
電動というプラットフォームが生まれている世界では、何か電気で動かしたくなったらそこへ行く。
ニーズの量を考えると、極小と巨大の範囲も、このくらいの幅を持てばよいと設定できると思う。
出力のみならず、電動の方法論にも多様性が欲しい。企画から実装、メンテ、廃棄までカバーする。
電動をやりたくなったときの駆け込み寺的な存在だ。ニーズに対して、プラットフォームが応える。
これまでの経験を全て持つことで、応えられる幅が広がる。日々、進化することができる。
作った人のリソースは全体の中でごく僅か。使う人の知恵を取り込むのが二つ目のプラットフォームだ。