もう20年くらい前から常にそのときの答えを持とうと努力してきた気がする。
恐らくたくさんの間違った答えもあったと思うが、それでも答えにこだわってきた。
今この瞬間に自分が責任者になったら何に向かって進むか。そんな感じだと思う。
もちろん、答えに自信がないこともある。そんな時は、周りの人に話してみる。
そんな時、話を聞いた人の反応はいくつかに分かれる。あり得ないという反応もある。
何も分からない中で、勝手な事を言ってという感じだ。でも何人かは別の反応をする。
頭を巡らす人がいたらその人の発言に注目する。どこかに賛同した可能性がある。
そうした人達は、ここがうまくいけばそれはそれでアリかも。そう思っている。
まだ情報が限られている中で持った答えは往々にして最終的には間違っていることが多い。
でも、常識的な動きが分からないタイミングだからこそ生まれてくるアイディアもある。
その中に、最終的な答えに役立つ要素となり得るアイディアがある場合すらある。
だからこそ、答えを持って周囲に投げかけていくことこそが大事になるのだと思う。
非常識な投げかけをすると、変人扱いされることもあると思う。それも構わない。
話すら聞いてもらえない状態は困るが、アイディアを土台にした対話には意味がある。
互いの考え方を具体的に知ることができるのだ。既にもっているアイディアも引き出せる。
現時点の答え、つまり叩き台があるだけで、一気に相互理解が進み、ゴールが近づく。
もちろん、自分自身の発想の訓練にもなる。条件反射的に考える癖も着くと思う。
さらに、少しでも変人扱いされないように、考えたことをどう表現すればよいかも工夫する。
1日何回もやれば、考える力だけではなく、表現力にもどんどん厚みが出てくる。
少しずつ瞬発力を発揮できる領域が広がり、速度も上がってきているように思える。