非日常をもっと楽しむ

コロナ禍のニューノーマルもそうだが、新たな生活様式を作り出すには、たくさんの非日常が必要だ。非日常は日常生活で体験できない場面や状況、経験であり、日常以外があることを教えてくれる。
日常からたくさんの非日常に触れておくことで、環境変化に応じた新たな日常を素早く作り出せる。
その状況状況に応じて、自分の体験してきた非日常から合うものを取り出せばいいからだ。

最近、茶室の話を伺った。茶事の主人が客を招き、茶を出してもてなすために造られる空間だ。
「茶室は神聖な場所で、その中では皆平等」という茶湯の精神が息づいているという。
イメージとしては落ち着いた空間の中で、日常の喧騒から離れて心を落ち着けられるところだ。
皆平等という言葉からは、身分や上下関係のない人と人との本質的な交わりを感じさせられる。

熱海の美術館には黄金の茶室というものが復元されているらしい。豊臣秀吉が作ったものだ。
天皇に茶を献じるために、組み立て式にして持ち運んだのだ。非日常を忽ち作りだす技だ。
組み上がった茶室の中に入ってお茶を頂くと、その空間の持つ高揚感に浸ることができるという。
現代でいうVRのような空間だったのかもしれない。異次元の世界へ瞬時にタイムスリップできる。

古民家の並ぶ江戸の街並みに入り込むと、なんとなく温かい気持ちや自然の大事さを感じる。
どんな世代の人にとっても、コンクリートに囲まれた狭い窮屈な日常から解放される瞬間だと思う。
都会に住んでいるとなかなか実感できない地球に優しい暮らしを体感することができる。
命あるものを大事にする。自然と共生するという当たり前の姿に触れることができるのだ。

今の日常は、「決まったことをいかに効率的に実現するか」に少し偏りすぎていると思う。
前提条件や既成事実を忘れる非日常、地球を感じる非日常、本質を大事にする非日常を持つべきだ。
もっといえば、こうしたたくさんの非日常を楽しみ、日常になっている世界が面白いと思う。
意識的に非日常を日常に混ぜていく。こんな取り組みをみんなが始めたら大きなうねりになると思う。