最近、日本をもっと元気にしたい。もっとたくさんの新しい価値を生み出したいと想っている。
買いたいと思えるもの、体験したいと思えるものをもっと生み出せたら売買は盛んになるはずだ。
売買が途切れなく続いて、その頻度が増していけば、みんなの売上が増えて、経済は活性化する。
もちろん、企業の売上増が原材料等の購入増のみならず、投資や従業員の給与に回ればの話だ。
「お金は天下の回りもの」という言葉がある。貧富は固定しないという意味に使われる。
今貧しくても真面目に働いていればいつかは自分のところにも回ってくる。そんな励ましの意味だ。
良いもの、新しいものを作り続け、様々な人がそれに気づけば、確かに富を得る事ができるだろう。
昔は街の評判の〇〇と人気の店が生まれていたのだと思う。街での口コミの効果は絶大だった。
最近はどうしても顔の見えない取引が増えている。八百屋と大規模スーパーの違いだ。
スーパーでは非の打ちどころのないオペレーションがマニュアル化され、品揃えも幅広い。便利だ。
八百屋はオヤジが目利きした新鮮な野菜やちょいとした会話が売りだったが、厳しい状況だ。
口コミはネット上のレーティングに変わり、一度の失敗が増幅される状況だ。温かみが減っている。
変な言い方だが、もっと街に閉じた顔の見える売買が増やせないだろうか。物々交換もありだ。
あの人の作ったものだから買いたい。あの人がやってくれるなら買う。そんな買い物を増やしたい。
品揃えや目利き、使い方や使う機会、お届けや修理など、買う人との接点は街の人が担えばいい。
場合によっては、商品のカスタマイズだって街の人がやってもいい。色々な専門家が生まれる。
メーカーなどの大企業は、街の色々な専門家が実力を発揮するための環境を整えればいいと思う。
街の人たちの創意工夫を促し、街の人同士の売買や物々交換などを支える。あくまでも黒子でだ。
今の世界とはだいぶ違う。でもこんな世界ならそれぞれの街とそれを支える大企業が共存できる。
経済を回すのも、お金を回すのも人。みんなが活躍できる、活躍したくなる場を作りたい。