一億総活躍社会

今から5年半前の2015年10月、政府が掲げたスローガンだ。ずっと耳に残っている。
当時、しっかりと内容を理解して実践する立場を取れなかったが、今でも実現したいと思っている。
「一億総」は、若者も高齢者も、女性も男性も、障害や難病のある方々もという意味だ。
さらには、「一度失敗を経験した人も、みんなが」と謳われ、日本の国民全員を表す言葉だ。

一人ひとりが、個性と多様性を尊重され、家庭で、地域で、職場で、それぞれの希望がかなう。
其々の能力を発揮でき、其々が生きがいを感じることができる社会と、「活躍」を定義している。
改めて調べてみると、その志に強く賛同する。今からの10年、しっかりと取り組みたいことだ。
残念ながら、この活動自体は令和元年5月末で止まっている。具体が伴わなかったのかもしれない。

生きがいとはどんな時に感じるのか。色々な意見はあると思うが、感謝された時のような気がする。
普段の生活の中で、お金を使う時よりも、お金をいただく時の方が、生きがいを感じないだろうか。
それも、ありがとうと言われながら、お金をいただく時に一番、生きがいを感じると思う。
リモートでもいいが、人と人との対話の中で生まれた金銭や気持ちのやりとりが鍵だと思う。

もし、この考え方を一億総活躍社会に当てはめると、みんなが商いを始める必要が出てくる。
自らの活動が感謝され、その活動に対して対価をいただくという関係性を持てる「商い」だ。
日本には起業する人も増えてきた。兼業や副業という「商い」もできるようになってきた。
少しずつ「活躍する」、ありがとうと言われながら対価をいただく人が増え始めている気がする。

でも、この数十年、効率化の名の下、大きな仕組みの歯車として活動している人が増え続けた。
そろそろ歯車にスポットライトを当てなくてはいけないと思う。活躍の場所を作る必要がある。
大企業のこれからの仕事は、誰もが住んでいる街で「商い」を始められるように黒子をやることだ。
効率の為に細かな役割分担を作るのではく、「商い」の総量を増やすことを本気で考えていきたい。