思い返してみると、常に同時並行で物事を進めてきた。
もちろん、細かく見ると、案件毎の集中時間が連なって毎日ができているだけかもしれない。
でも、1時間単位とかではなく、数分単位で案件が入れ替わることもある。
バックグラウンドで何かしら引っかかっていることがあり、それが会話に出てきてしまう。
あ、ちょっと待って。あの件の面白いことが頭に浮かんだ。メモる。
まあ、別の案件でその場にいた人にとっては、突然変なことを言い出した変な人になる。
でも、中にはその面白いことが起点となって、他の案件に脱線していくケースもある。
その場にいた人もその面白いことに誘発されて、別のことを考え始めるのだ。これが面白い。
人は経験の積み重ねでなにかしらの成長すると思う。能動的に経験をたくさん作りたい。
そして、成長は経験の質・量と種類に左右される。そこで経験の選択をする必要がある。
物事の同時並行は、少なくとも量と種類は稼げそうだ。つまり経験の幅が広がる。
特に、自分と経験の重ならない人との出会い、議論は幅の広がりを加速させる。面白い。
副次的効果かもしれないが、あるところまで経験の幅が広がると、行き詰まることがある。
会う人との会話が弾まなくなる。量と種類では超えられない壁にぶつかる。
おそらく化学反応を誘発するには、質や深さが足りなくなる。相手や自分のきづきを生む力が足りなくなる。
突き詰めることで生まれる研ぎ澄まされた本質。シンプルで分野を問わず転用できるところまで届いていない。
もちろん、逆のパターンもある。質や深さを突き詰めて、それを本質にまで研ぎ澄ます。
そして、他の分野の人、他の分野を突き詰めたひととの話の中で、化学反応を生み出す。
その化学反応の中で、新たな経験を積む。まあ、いずれにせよ、経験の質・量、種類がいる。
大事なのは、自分の思う完璧をそれぞれの経験で追求しすぎないこと。それは価値を受け取る人が決めること。