超高性能、古来、らしさ、DNA。特別感を示すこうした表現は至る所で使われている。
確かに、これらの言葉からは秘めた凄いものがあるという感覚が伝わってくる。とにかく凄そうだ。
でも、何が凄いのかは十分に分からないまま、凄いと言われているから凄いのだと納得する事も多い。
それどころか凄いというのを受け入れないと、なんとなく分かってない人みたいな感覚にも襲われる。
日本ではそうした凄さを少し内緒にしておくくらいがちょうど良いという考え方もありそうだ。
敢えて、凄さを言語化しないことで、感じたままに捉えて欲しいという意図もあるかもしれない。
確かに正解があるより、自分なりの正解を作る事の方が、面白いとも感じたりする。
とはいえ、何かを盛り上げようとしたら、それだけではなかなか上手くいかないような気もする。
そもそも、注目されずに、表面的に見て通り過ぎてしまうケースがある。印象に残らない。
何かしら問題意識を持って見にくれば、深く切り込んでくると思う。でもそんな人はそう多くはない。
世の中に色々なものが乱立している中では、そう簡単に注目を浴びることができないのが実情だ。
よって、ビジネスでも文化でも、まずは注目されること、興味を持たれることが重要となる。
シンプルなメッセージで、端的にそこにあるものの凄さを伝える。これが不可欠だ。
できたら、単体ではなく、周りのものと束になって、大きく見せることも大事だと思う。
同じ凄さを持つものを束ねることで、凄さを増幅でき、奥行きや広がりも見せられる。
そうすれば、単体で頑張っているものより、明らかに目立つ。つまりは人数を集められる。
お店には品揃えがいるのと同じだ。そして、品揃えにはその組み合わせを端的に表す言葉がいる。
あのお店に行けば、こういうコンセプトの商品がたくさんある。よし行ってみよう!
お客さんだけではない。商品を企画している会社も集まる。うちの商品はあの店で売るのが良い。
そのお店には買い手もメーカーも集まる。言語化は賑わいの増幅される武器になると思っている。