小さい頃から仮面ライダー、ゴレンジャーなどバトルものが好きだった。
正義の味方が悪を滅ぼす。やられて退散していく悪の姿が良かった。
いつかは正義の味方のような存在になれたらと考えてしまうほどだった。
まあ、冷静に考えると変身もできないし、ドラマの世界だと分かってはいた。
もちろん、いまになっても好きだ。ガンダム、フリーレン、スパイファミリー。
どれもバトルがある。進撃の巨人、鬼滅の刃、怪獣8号、キングダムも同じだ。
バトルものを見ていると、なぜか一緒に身体が動く。思わず攻撃を避ける。
まあ、どちらが勝つかはほぼ最初からわかっているのだが、それでも面白い。
人はつくづくバトルが好きなんだろうなとも思ってしまう。おそらく私も同じだ。
でも、決して実世界、実社会でバトルを好んでいるわけではない。潜在的なのだろうか。
実社会では、戦いをしたくないとすら考えている。どちらかといえば活用を考える。
客観的に能力と捉えることを心掛けている。そしてその捉えた能力を活用したいと考える。
客観的にといったのは、悪かどうかを決める前に、能力探しから始めることだ。
相手が自分の常識から逸脱したことがあればそれが最初に目につくだろう。
でも、そこで敢えて常識の逸脱に心を持っていかず、能力を見極めるのだ。
そんな簡単ではないが、そう頑張ると思わぬ能力を発見できることがある。
まだ実感にまでは辿り着いていないが、おそらくこれが新時代を切り開くトリガーだ。
多様性を包含するきっかけになると思う。どんな人でも活用したい能力があれば交われる。
交わって何かを一緒にできたら、おそらくその相手と何かしらの関係が育める。
嫌悪や後ろ向きでなくポジティブな関係だ。単なる理想論か、実践可能か。挑戦してみよう。