違和感と付き合う。

しっくりしない感じ。これが違和感の意味合いだ。最近はこの感じが増えている。
なぜ増えているかというと、付き合ってみようと思っているからだ。積極的に。
なぜ積極的にかというと、新たな時代の要素を受け取れるかもしれないという期待からだ。
自分の考えていることは、本質以外の部分は先入観だ。先入観は過去のものから来るからだ。

違和感に出会うには2つの方法がある。一つは分野を跨ぐことだ。分野が違えば常識も違う。
かなり距離のある分野だと、日本語なのに意味がわからないことすらある。それぐらい違うのだ。
もう一つは、若者と付き合うこと。数十歳も違うと、明らかに育ってきた環境が異なる。
生まれた時からスマホがあるのと、手帳なのでは日常の経験が明らかに違うのだ。

例えば、若者はソフトウェアの凄さを堪能してきた。我々世代はハードウェアが気になる。
試したソフトウェアの数が圧倒的に違う。若者はソフトウェアを身体の一部にしている。
並列処理をする数もかなり違うと思う。我々世代は一つのものを深くしつこくだ。
若者世代は、思いついたものをどんどん始める。無謀とも思える並列処理を普通に始める。

詰めが甘いとか、やり切る力が足りないとか、思うことは色々ある。でも応援している。
新たな時代の常識は若者が決めればいいと思う。そこに本質的に必要なことだけ足せばいい。
本質的に必要なことを忘れない。これだけを言うだけで良いのかもしれないとすら思う。
違和感と付き合うと、どんどん自分の中に広がりが生まれる。常識が塗り替えられていく。

時々、違和感を糧にパワーアップした自分を自分自身で活用したくなることがある。
違う言い方をすると、一つ事に集中して、大きなインパクトを生み出してみたいという衝動だ。
一方で、違和感を得続けたいという気持ちもある。まあ、いまどきの考えなら両方やればいいだ。
やり方はこれから学べばいい。さあ、今日もこれから違和感を集めに行く。武器にするために。