コロナ禍の直前まで、ドイツの会社にいたので国内より海外に行く機会が多かった。
ただ、残念なことに、行った先々の土地を巡るというより、オフィスが目的地だった。
特に最後の1年は社内の会議が多く、休憩の際、目に入る高層階からの展望のみが街を意識させた。
赤い屋根が綺麗な街並み、起伏のある石畳の街並み、緑の豊かな公園が続く街並み、色々だ。
昨年の秋頃からだろうか、国内のあちこちに出かけていた。やっぱり日本はいいなと改めて思う。
昔から「土地の文化」という言葉をよく聞いていたが、なんとなく肌で感じられるようになってきた。
一番分かりやすいのは食だ。その土地ならではの味がいくらでも見つかる。初めて食べるものも多い。
ラーメンをとっても、土地によって全く味が違う。うどんもそうだ。土地の食材も活かされている。
文化といえば、代表例は美術館や博物館だろう。最近は、土地の文化を見つけに必ず訪ねている。
確かにその土地での出来事やその土地に根付いてきた風習、事件などが詳しく展示されている。
その当時のもの、遺跡や当時の道具、生活の品などが見られる。当時に思いを馳せることができる。
でもふと感じることがよくある。この歴史と今のこの土地の文化はどんな関係があるのだろうか。
ギャップが大きすぎて、歴史と今をつながったものとして考えることがなかなかできないのだと思う。
恐らく、展示されている時代の史実を忠実に伝えているが故に、今の世界とのつながりが見えない。
史実の背景や、当時の人が大事にしていたことが見えれば、つながりが見えるのではないだろうか。
忠実な具体と共に、少し抽象度を上げたその具体の意味合いを捉えてみたくなる自分がいた。
長崎では異文化が折り合いをつけながら融合してきた。多様性を尊重してきたように思えてきた。
金沢は相反する2つのものの調和を様々な空間の中で実現してきた。美しさを生み出してきた。
阿蘇や十日町は、噴火や雪といった自然の猛威と向き合い暮らしてくる知恵を紡いできた。
そうした知恵や具体的な事例は土地の至る所に散在している。土地の知恵巡りをしてみたくなった。