土地の文化であれば、その土地の住民が育むものだ。住民が時間やお金を使うことで育まれる。
ぎりぎりの生活の中でも文化を育むことはできるが、ゆとりや余裕があると文化に奥行きが出る。
日本各地にある多様で豊かな文化は、どんな風にゆとりや余裕が生まれ、育まれてきたのだろうか。
商売で稼いだお金を、土地の賑わいのために使う。そんな「粋」のようなものがあったのだと思う。
藍染で稼いだ。鯨漁で稼いだ。土地の活気が生まれ、色々な商売が始まり生活にゆとりが生まれる。
その土地の特産品を土地の外に売りにいくことで、大きな富が生まれた。それが土地で循環したのだ。
藍染なら衣服や装飾に、鯨漁なら食の創意工夫や装飾品に、日常の至る所に溶け込んでいった。
富は次第に踊りや劇などにも使われ、その土地ならではの娯楽もたくさん生まれていったのだろう。
昔は「あの土地はあれで稼いで、あんな楽しみ方をしている」というのが分かり易かったのだと思う。
今ほど、土地土地の文化も多様ではなかったのだと思う。分かり易いシンプルな特徴があったのだ。
それが故に、住民はその土地の文化とともに生きてきた。その土地の文化を自然に育んできた。
今は、他の土地の情報は瞬時に伝わり、住民の頭の中は多様な文化が共存する状態になりやすい。
つまり生まれた時間やお金のゆとりは、その土地ならではの文化だけに投資され難くなっているのだ。
さらに、まずいことに、その土地で生まれる時間やお金、特にお金のゆとりは小さくなってきた。
富が次第に大都市に集中するようになっている。土地の特産品ではもう大きな富が生まれないのだ。
文化が育まれ難い構造的な要因はこの辺りだろうか。なんとしてでも、富を生みたくなってくる。
いまはデジタルの世界だ。どこにいても様々な情報が入ってくる。逆に誰にでも伝えることができる。
その土地独特のものを打ち立てて世界に発信する。できればESGなど世界が興味のあるテーマがいい。
そうすれば見てもらえる。NFTでもよい。その土地ならではのストーリーをNFTに仕込んでみる。
新しい商売のあり方を考えて、しっかりと稼いで文化に投資する。こんなサイクルを回していきたい。