自由は常に変わる

楽しむか、眺めるか、離れるか。多様な自由が同居する世界で持つべきマインドだ。
自分が好む自由の世界では楽しむが基本だ。一つでなく、好みをはしごしてもいい。
ちょっとした興味のある自由は眺めるのがいい。お試しするか、BGMにする距離感だ。
苦手や嫌いな自由は離れるのがいい。追いかけてくるSNSは困りものだが、視界から外す。

自分の好き嫌いという感情は生きていく中で大きく揺らぐ。嫌いが好きに変わることすらある。
自分の芯の部分は変わらないことも多いが、誤解や食わず嫌いの場合は一瞬で好きになることもある。
大きなきづきを得た場合や視野が一気に広がった場合などにも好き嫌いや自由の定義が変わる。
好きな自由が増えていく場合も多い。あれもこれも大変になるが、この場合はどんどん増えていく。

生きる中で自由の定義が変わるのなら、離れる対象の自由にいた人と10年後に交わるかも知れない。
離れるは分断を意味するが、他の自由の中で生きたり、別の自由と行き来する中で変化する。
離れなくて良いと感じることがある。眺めて見ようかと思い立つタイミングがあるかもしれない。
時間軸を広げて、こんな可能性を捉えて、おおらかに生きていくことはできないだろうか。

もちろん、人間の感情はその場その場で捉えた状況や、勝手な妄想などに大きく左右される。
感情の爆発も仕方ない。大事なのは爆発の程度感なのだと思う。袂を分つ状態までいかないことだ。
爆発の大きさをぐっと抑えて、そこで踏みとどまる。そして、離れる、忘れる、楽しい自由にいく。
妄想を勝手に広げすぎないことも大事だ。どこまでが事実かの切り分けがどんどん曖昧になるからだ。

稼がず消費するだけで生きていく自由もある。本人にとってはこれは怠惰ではなく休息かもしれない。
新たな価値を生み出す挑戦の自由もある。でも、いつの間にか誰かを不幸にしているかもしれない。
タイミングによって、それぞれの自由は変化するし、そうした多様な自由が常に交錯している。
頭で理解できる。でも感情は言うことをきかない。みんながこんな世界を楽しむことが大事だと思う。