多様性が必然となってきた世界

世の中にはたくさんの商品やサービスがある。数十年前とは比べ物にならないくらい溢れている。
マスカスタマイゼーション。量産の効率性を残しながら、個々のニーズを満たす方法も生まれた。
One to Oneマーケティングなる一人一人に合わせた広告を配信する方法論も当たり前だ。
個々人の趣味嗜好がデータとして記録され、それを活用した満足度を上げる取り組みが盛んだ。

よく言われる事が、顧客からより多くのお金を頂くには、期待を上回る価値を提供する必要がある。
想定外の価値でも良い。後からお金を貰う仕組みか、リピートを促す仕組みがあれば成り立つ。
いずれにせよ、今までにない新しいことや刺激が必要だ。もちろん、全てが新しくなくても良い。
ありものの組み合わせで、「そうきたか。なかなか面白い」という状況を作っても良い。

では、そうした新しいことを生み続けるにはどうしたら良いのだろうか。論理的に考えてみる。
人が新しいと感じるものは、これまで出会ってないものなので、日々の生活に現れないものだ。
一方で、身の回りには物やサービスが乱立している。それらを目にすることに日々慣らされている。
よって、新しさは、非日常や非常識から探さないとそう簡単に出てこないことになる。

人は経験や体験を日々重ねてきた。どちらかといえば、好きなものを選んで積み重ねてきた。
その一方でマンネリも感じている。毎日が同じだ。何か新鮮と感じるものにも出会いたい。
でも相容れない、違和感だらけのものは勘弁してほしい。ある境界を越えたら拒みたくなる。
だから、丁度良いあんばいの新鮮さや刺激がいる。それには2つの方法があると思う。

1つ目は日々の生活で慣れ親しんでいるものに、日常の外から異質な要素を混ぜることだ。
大抵の商品やサービスは多数の要素から構成されている。だからそのうちの幾つかに混ぜればいい。
2つ目は色々な異質な要素を日々伝える術をつくることだ。日常の隙間時間に届ける仕掛けだ。
届いた異質は商品やサービスを作る際にも、選ぶ際にも役立つ。自分の中に多様性を持とう。