擬人化

人でないものを人に擬して表現すること。
ものづくりの世界ではよく聞く言葉だ。特に動くものに対して使われることが多い気がする。
例えば、長年使って来た装置。少しやっかいな癖や思い出の傷があり、大切にしてきた。
もしくは、完成品のプロトタイプ。思い通り動かすまでの試行錯誤が詰まっている。

その際の呼び名は「この子」だ。我が子を見るような目で呼びかけている。
そこには、ものづくりへの情熱や「ものは一つ一つが作品」という想いが込められている。
丹精込めて作ったものを、大事に使ってもらいたい。そんな職人の想いだ。
大量生産の今でも、1品1品全てを手仕事で作っていた頃から変わらない感覚だと思う。

デジタル技術でものが簡単に量産できる世界が来た。世の中はそう囃し立てる。
そんな世界ではもう、「この子」という感覚はなくなっていくのだろうか。なくならないと思う。
昔は、動かないものでも、自らの作品に「これは私の分身」といった表現を使った。今もある。
色や形、デザインといった表情や機能を作品の中に紡いでいく中で、湧き上がる感情だ。

最近は動くもので耳にすることが多いが、本質は「動くこと」とは関係ないと思う。
どれだけの試行錯誤を重ねたか。どれだけの新しい挑戦の末に成し遂げたか。
「この子」や「私の分身」という言葉の本質はここにあると思う。
ものを買って使う側の心にも、もちろん響く。作者の込めた情熱に触れることで愛着が湧くからだ。

デジタル技術。1人がものに込められる工夫や想いを増幅する技術だ。
これまでであれば使えなかった匠の技術が選り取り見取り。素早く組み合わせることができる。
10人で分業していたことが1人でできる可能性を秘めている。10人なら100人分できる。
凄い子を生み出せる。私の分身のスケールが上がる。先人の知恵に自らの知恵を重ねて紡いでいきたい。