お金と想いが一緒に回る

日本には箪笥預金がたくさんあると言われている。
将来の不安からお金は貯めて、少しずつ使うものになっている。
年金制度が崩壊などといったニュースを耳にすると、確かにそんな気持ちになる。
でも、銀行に預けても金利で儲かるなどといったことはまず期待できない。

クラウドファンディング。少額の投資ができる仕組みだ。
面白い、応援したいと思う取り組みにお金を払う。
なんらかの約束が結ばれるが、期待通りの価値が得られるかは確実ではない。
でも新たな挑戦に触れていたいという人間の本能みたいなものがあるのだと思う。

最近では農家の野菜が売れない、服やお酒の在庫が積み上がっている。
こんなメッセージと共に、SNSなどでの直販も多くなっている。
送料がかかるのかと思いながらも、困っている人の助けになればと多くの人が購入している。
もし、その情報が知人経由で届いたら購入確率はぐっと高まる。

こんな場合、人々は貯金ではなく、使うことを選んでいる。
モノの価値に感情が加わっている。みんなで助け合おう。新たな挑戦は素晴らしいと。
あ、そういえば、国分寺には「ぶんじ」という地域通貨がある。お金であり、メッセージカード。
誰かのやさしさや、丁寧な仕事に対して、メッセージを書いて渡す。

お金は何かを「手に入れる」ための単なる道具でない。
誰かのやさしさや丁寧な仕事を「受け取る」ための道具にもなる。こんな想いが詰まっている。
今より少しだけ、こんな想いが街でやりとりされたら。すごく豊かだと思う。
貯金へと背中を押す不安。こうした豊かさの中でいつの間にかなくなっていかないだろうか。