景色を感じながら動く

ナビゲーション。ある時から車に付き始めた。今では必需品だ。
現在地と目的地を矢印で結んで、進むべき方向、曲がるべき角を教えてくれる。
最近まで交差点名と道路形状の表示が主流だったが、いまでは現実の景色と同じ情景に矢印を重ねる。
使ってみると、それなりのスピードが出ているにも関わらず、迷わずに進める。

ナビの矢印は常に進行方向に向くように設定している。右左に迷わず便利だ。
でも、東西南北を意識しない自分に気づく。矢印に操られている自分に気づく。
ナビのない時代、道を覚えるのが得意だった。自分なりの目印を見つけて楽しんだ。
バイクには方位磁石をつけていた。これがあれば道に迷うことはないと思っていた。

社会のリズム。移動、食事、生活、仕事のリズムはどんどん速くなっている。
速く動くことで、たくさんのことができると、なんとなく信じているからだろう。
確かに、ゴールが明確なことなら手戻りなく、速く動けばたくさんのことができる。
プロセスを細かく見つめ直し、整流化し尽くす。収益を高める王道とも言える技だ。

でもなんとなく、整流化を極めれば極めるほど、周りの景色が見えなくなる気がする。
目的にぶれずに一直線に進む。わき目もふらずに。改善には限りがない。確かにそう思う。
でも「ありたい姿」をアップデートできるかが大事だと思う。やるべきことは変わるからだ。
あるところまで行ったら、目標を大きくする。できれば目標の対象を能動的に広げたい。

あるモノを生み出すコストだけを下げるのか。モノを使うコトの中でかかるコストも下げるのか。
コトを一緒に生み出すモノとの連携をデザインするのか。コトを楽しむ人を増やすのか。
コトづくりの担い手として、コトを生み出す際の楽しさも大きくするのか。
ふと立ち止まって、本質的に何がしたいか。日々周りの景色を見ながら「ありたい姿」を考えたい。