妄想

世の中では構想力という言葉はよく使われる。なにかの企画を構想する力だ。
成し遂げたいこと、目標を置いて、それを実現するために全方位で考える。
これをやるために、あの人を巻き込み、こういう声にはこう対処していく。
常にどうやったらその目標を達成できるかに集中して必要な具体を揃えていく。

構想力は人がワクワクするものを具体に落としていく作業だ。実現を目指す。
一方で、妄想はほかの人にとってはあり得ないと思えることを確信してしまうこと。
一般的には良くない言葉だ。被害妄想などはとてもよく使われる。誇大妄想などもある。
でも、これまで生きてきた中で、構想と同じくらい妄想という言葉を使ってきた。

確かに、妄想とは取り憑かれては行けないものだと思う。でも量産するのは良いと感じている。
まあ、量産するのだから、一つ一つに固執してしまうこと、取り憑かれてしまうことはない。
故に、他の人にとってはあり得ないと思えることをたくさん生み出せるというメリットがある。
もちろん、その多くは実現してもしょうもない真の妄想なのかもしれない。そうだろう。

それが今は常識外でも、良いけど実現されるわけがないと感じていることならどうだろうか。
人に話すと無理無理無理と笑われることかもしれない。でもできたら嬉しいとは思ってくれる。
おそらく、このジャンルの妄想はとても意義がある。人によってはおもしろーいとなるからだ。
妄想に描かれた姿が、実は人や社会が望んでいるけど、諦めていることなら可能性が広がる。

構想のだいぶで前の、構想の卵が妄想だ。それを実現してもどうなるかはまだ定かではない。
でも、方向性はあっている。まかり間違って実現されたら悪くないかも。明るくなるかも。
それならば、考える意義は大きい。流石に無理でしょ、とみんなで笑い飛ばすのも楽しい。
妄想を量産する人が増えたら、なんかすごく楽しそう。そんな妄想をすることが多い。