人とAI

生成AIができてからというもの、色々な分野で段違いの進化が起きている。
今まではメカニズムを捉えたり、ルールを作ったり、手取り足取りで教えた。
いまは人間がこれまでデータとして貯めてきたものを勝手に自分のものにする。
いまだに生成AIの成り立ちはよくわからないが、ずるいを超えた学びの速さがある。

感覚としては、自分の知らない分野であれば、AIの答えでも満足してしまう。
よく知った分野は、おいおいそれは強引な解釈や一般論すぎる部分が見え隠れする。
それでも、ある意味の客観的な感覚を捉えるには役に立つような気もする。
いずれにしても、叩き台なり、一つの見解を得る上ではこの上ないツールだと感じている。

自分には全く備わっていなかった能力を一定程度、補完できるのもとても嬉しい。
ちょっとしたイラストを描きたい。プレゼンをチャチャっと纏めたい。BGMが欲しい。
かなり雑なリクエストでもまあまあのものを作ってくれる。さらに幾らでも文句を付けられる。
相手に人格がないので、自分が気に入るまでリクエストできる。待ち時間も数分以内だ。

ある機能において、性能がいいとか、悪いとかはもちろんあるが、曖昧を扱えるのがAIだ。
阿吽の呼吸的なものを仕込むことはできそうだ。もうちょいだよなは、いずれいい感じにもなる。
うーん。阿吽の呼吸までいくと、人格的なものを感じるのだろうか。可愛くなるのだろうか。
AIも育て方によって、性格が変わる。こんなこともあるような気がしてくる。境目はなんだろう。

おそらく学習に使うデータは人とAIではかなり違う。特に感情はデジタルデータになっていない。
動画で表情や仕草は捉えられても、脳が繋がってなければ本当の意味での感情の振れ幅は分からない。
とんでもなく多様なデータを見たAIと、選択的に感情を揺さぶる体験をした人。大分違う気がする。
これからの時代、人は機能ではAIに負け、助けを借りる。でも感情を揺さぶるのはやはり人だと思う。