生成AI

ここ半年で騒ぎがとても大きくなってきた。インターネット黎明期の比ではない。
どこまで進化するのか、人間を超えてしまうのか。様々なホラーストーリーが出ている。
実際に、ちょっとした絵やロゴだけを代行して作る仕事は激減しているようだ。
生成AIの時給は使えば使うほど安くなり、何回文句を言っても全く問題が発生しない。

生成AIには感情はなく、淡々と異状な速さでどんどんと叩き台を出してくれる。
描く技、まとめる技に乏しかった人に、アシスタントが何人にもついたような状態が生める。
数人の組織でしかできなかったことを一人でもやれるようになるのだ。やはりかなりの武器だと思う。
実際に、色々な人がその武器を試すところまでは来ている。その能力を実感した人は多い。

ではどう付き合うのが良いのだろうか。いやどんな人が使い手として台頭してくるのだろうか。
すでに今も傾向が見えてきた。自分のやりたい事に溢れている人がバンバン使っているのだ。
こんなアイディアも試してみたい。これはAIにやってもらっておこう。複数の助手として使い倒す。
圧倒的なスピードで自らの持つ構想を広げて、増やして、実行の準備に入っていると思う。

そういう人を見ていると、目の輝きが強くなっているように思う。進捗速度が上がり楽しいのだ。
もしかしたら、歩きだった移動が自動車に変わるぐらいの進化かもしれない。いやそれ以上だ。
なにせ、調べ物は100倍の速度で終わる。同時に異なることをいくらでも考えさせることが可能だ。
自らの頭に浮かんだチェックしておきたいことを次々に恐るべき速さで実行してくれるのだ。

一方で、自分のやりたい事がはっきりしない人にとっては、生成AIは面白ツールにとどまっている。
試しに思いついた事に使ってみるが、その結果に対して評論はしても、活用はしない。
そんな状態なのでAIへの投げかけも進化しない。自分の助手に仕立てるという感覚もない。
利用頻度が大きく異なる。やはりそうだ。意思や夢を持つ事。これが人間に必要だと改めて思う。