精一杯の答えを出し続ける。

20年前を振り返ると、プロとは能動的に答えを生み出すもの。そんな風に考えていた。
人に手取り足取り教えるなんて、プロになりたい人に決してやってはいけない。
教えてもらう癖がついたら自分で考えることが出来なくなる。極端な考えだった。
もちろん、何も教えずに勝手に育っていく人もいたが、どこかで葛藤もあった。

どうやったらプロとして一人前に早くなれるのだろうか。でも技だけを習得しても。。。
技の使い方、組み合わせ方を示せばいいのか。技の使い手は能動的なプロなのだろうか。
分担していた仕事を巻き取ってなんとかする。ぎりぎりになるとそんな事すらしていた。
根性とか責任感は間違いなく、伝わったとは思うが、プロとして進化したかどうかは分からない。

そんな中、次第にプロとしての向き合い方が変わっていった。プロなら価値を生んでなんぼ。
価値を生む姿、生むプロセスを見せていく。最大限見せていく事にこだわり始めたのだ。
お題があったら、常にそのタイミングでの答えを持つ。直感ではなく根拠も持ってだ。
もちろん、最初はこういう感じで、こんな要件をみたすものだという抽象度が高いものだ。

心がけたことは、その答えをどんどん検証して姿形を真の正解に、具体の正解に変貌させることだ。
このプロセスが答えを生み出すためにどれだけ効果的かを伝えることだった。
これを見ている側は、最初の答えに意味不明だと感じるのが常かもしれない。それでもいい。
検証のサイクルを回すうちに、最初に持っていた条件の大部分は本質的で正解の一部だと分かる。

最後には、最初の正解は具体性が足りなかったが、確かに本質を捉えていた。そうだったんだと思う。
この状態を如何に作るかに努力をしていた。それには最初の答えが高い確度で合っている必要がある。
これは難しいが、100回、1000回続けるうちに確実に筋は良くなっていく。そうするしかない。
ではこれでプロは育つのか。私の現時点での答えは最も良い方法だ。今後も変わらないと思う。