未来を育む。

もう10年くらいになるだろうか。常に社会に新たな価値を生み出すことが最も大事だと感じてきた。
いま既にある価値を効率化するだけでは、社会は全く良くならないと思っている。
確かに効率化は足元の収益を確実に高める。でも、社会の売上が上がっているわけではない。
シェアを上げた会社の売上は確かに上がるだけで、それ以上に売上を下げる会社が同時に存在する。

コストを下げてパイを奪い合う。いわゆる消耗戦だ。勝ち残った会社は良い会社なのだろうか。
フードデリバリー、電子決済。シェア争いの値引きやインセンティブ合戦が繰り広げられている。
決算を見ると赤字の所だらけだ。もう少し頑張れば勝てる。そんな感覚なのだろうか。
株式市場を見ると、そうした会社にもそれなりの株価がついている。何か複雑な気持ちになる。

AIに取って代わられる仕事がある。労働人口は減っていくが、それ以上に仕事が減るという。
確かに、単純作業は減るだろう。でも、そうした仕事をAIで減らしてはいけないのだろうか。
楽しい仕事でなければ、やりたい仕事でなければ、やるべきでないというのが本質的だ。
そうなると、AIに仕事が奪われることを議論するより、新しい仕事を生み出す議論をしたくなる。

やっぱり、新しい価値をどれだけ生み出せるか何より大事なのだ。効率化はそれをやるための道具だ。
新しい価値に挑戦するのだから、時間やお金が掛かる。それを捻出するための効率化なのだ。
でも、人は、手を付けやすいところ、成果の出しやすいところから始めたくなる。そんな生き物だ。
そして一旦手をつけると、それが目的になる。これが、「効率化が日本中に溢れる理由」だと思う。

幸いなことに、私は少し変わった人達の中で、日々を過ごしている。効率化に興味がない人達だ。
当たり前を打ち破って、新たな世界を開く。そんなことに取り憑かれている人達だ。
それから、新しければ価値の大きさにも一喜一憂しない。経済規模でなく新しさが活動基準だ。
小さくてもいい、沢山の新しい価値を生み出したい。そんな仲間との未来づくりはとても楽しい。