出島

いまから400年くらい前の江戸時代。長崎に作られた4000坪程度の人口の島だ。
教科書に載っていた扇型の島の写真は、今でも鮮明に覚えている。出入口は一本の橋だ。
出島では、ポルトガルやオランダとの貿易が行われ、異国の地との接点としての機能があった。
日本人が島に入るにも特別の許可が必要だった。異国の方は出島まで来れても本土には入れない。

要は、小さな小さな異文化の融合の町だ。異国からの様々な産品が所狭しと並ぶ。
極めて限られた人数ではあるものの、異国の文化を触れることを任された日本人がいた。
一方で、海外文化の急速な流れ込み、キリスト教の広がりなどを堰き止める防波堤の役割もあった。
新たなモノを常に吟味しつつ、優れた目利き力を養いながら、新たな日常の準備をしていたのだろう。

それだけではない。出島にいると、海外への想いがだんだん強くなっていくような気がする。
理由は島の扇の形だ。小さい扇型の出島にいると、広がる海の延長にある異国の地に想いを馳せる。
色々な妄想が湧き上がっていたのではないだろうか。何度も出港する船に乗りたいと考えただろう。
勿論、そんなことは出来なかっただろうが、船が運ぶ文化の変化を敏感に感じとっていたに違いない。

最近では出島組織という言葉がよく使われる。既存組織とは切り離した新たな組織のことを言う。
道を切り開く、先鋒としての役割を担った組織だ。いわゆる「しがらみ」からある程度解放される。
更には、今の出島組織には、本土つまり既存組織に、能動的に新たな世界の様子を伝える役割がある。
江戸時代の出島とはかなりバランスが変わっている。防波堤ではなく、流入マネジメントだ。

刺激が強すぎると、既存組織への影響が心配だが、既存組織も早く変わりたいと言う訳だ。
あ、今の出島組織には、扇型がない。場所は違えど、既存も出島もオフィスビルだ
様々な産品も目の前にない。様々な妄想を掻き立てる道具立てが不足しているかもしれない。
でも今の時代、産品や扇型の代わりがある。常識の異なる人々だ。人々との対話が妄想を生むと思う。