延長線上の未来から脱却する

少し前、「日本が消滅する」という刺激的な文言がTwitterで拡散した。
中身は非常に合理的で、このまま少子化が続けば当たり前に起こる成り行きだ。
人口推計でもしっかりと示されている。病死や事故死が減らない限り人口はどんどん減る。
出生率を上げられればもちろん変わる。でも過去に生まれた人を増やすことはできない。

出生率の減少が続いている中、高齢化が進むのは間違いない。寿命が伸びたら尚更だ。
出生率を劇的に増やすか、社会に活力を生む高齢者を増やすことは喫緊の課題だ。
社会にとっての課題で、誰の目から見ても明らかなのだが、なかなか打ち手が定まらない。
どうしても、議論の主語が社会とか地球にならないのが原因の一つなのかもしれない。

効率化の話にも同じ感覚がある。世の中に生まれた価値は最初は高い値段だ。
しばらくすると、類似のものが出てきて、競争の中で、少しずつ値段が下がっていく。
同時に原価を下げるべく、さまざまな効率化が進む。構成要素毎に徹底的に行う。
モノのコストを下げるために、スケールの拡大と人件費の低減を進めていくのだ。

こうなると、いかに自動化をして、関わる人の数と単価を減らしていくかを考えることになる。
働く人は標準作業を繰り返すことになり、創造的な仕事はどんどん減っていくことになる。
これはものづくりでもサービス業でも同じ構造だ。「働く」への対価の総量が減っていくのだ。
この状況を変えるには、新たな価値を量産するしかないのだが、シェア争いの方が盛んだ。

誰もが頭ではわかっている。でも、自分とその周りを主語にした結論を重視してしまう。
地域や国、国を跨いだ共存共栄を主語にした取り組みにはなかなか昇華していかない。
そんな中、SDGsは世界に大きな投げかけをしてくれた。「波及効果をかなり先まで考える」だ。
延長線上の未来を待つのではなく、ありたい未来を描いてみんなで進む。さあ、始めて行こう。