俯瞰する癖

商売が単純ではなくなった。最近はこんなことを思うことが多い。
昭和世代にとっての昔はモノもまだまだ少なく、いろいろなものが新鮮に思えた。
何か新製品が出ると、すぐに話題になり、誰もが飛びつき、流行りが生まれた。
今は、モノが溢れている。新しいモノでも、似たものが既にどこかにあるのが当たり前だ。

こうした状況が生まれた背景は、情報の流通速度の飛躍的な向上にあると思う。
誰かが作った製品は、すぐにSNSを通して多くの目に触れる。感想がアップされる。
それを参考に改善した商品を誰かが生み出す。それを誰かが評価してまた改善される。
情報に基づいて売れる確率を上げるゲームが続いているような感覚だ。なんとも大変だ。

今ある使い方とは違う使い方をする人も出てくる。その使い方が流行ったりもする。
すると、メーカーがそれに準じた新たな使い方を発信しだす。コトづくりが始まる。
コトをより楽しくするための様々な工夫が始まり、モノが更なる進化を遂げる。
ある時、使用後のゴミの問題が生まれる。それを受けて土に還る材料によるモノづくりが始まる。

人がモノを手に取って使った時の満足感が全てだった世界がどんどん広がりを見せる。
使い方での創意工夫を促す、使った後のゴミの問題を考える。視点がどんどん加わる。
モノが生まれるまで、使われる時、使われた後。全てに目を配るようになっていく。
それに直接関わった人はもちろん、周辺にいる人への間接的な影響をも考えるようになる。

ダイバーシティ、SDGs、地球に優しい社会。これらの実現には広い視野が必要だ。
その時に生まれる直接的な変化に留まらず、前後での変化、間接的な影響も考えなければならない。
自らの都合の良い範囲だけを見るのではなく、社会を俯瞰して全体の幸せを捉えることが大事だ。
勝ち負けではなく、共存共栄。どれだけ俯瞰できるか。これからの経営で最も大事なことだと思う。