もうだいぶ前だと思う。ゴルフのレッスンの時にこの言葉を聞いたのを覚えている。
当時、(今も)ゴルフは初心者だった。球が前に一直線に飛ぶ確率は半分もなかった。
そんな中で、先生に見られる。下手なのはわかっている中で緊張しかなかった。
身体全体がこわばり、球の上を叩く。球は飛ばずに転がる。考えてみたら当たり前だ。
ここで「肩の力を抜いて」という言葉を聞くことになる。自分でも認識できる。
クラブを置いて、肩を上下に何度か動かし、首を何回かぐるっと回してリラックスする。
その時はいいが、いざ再び球に向かって構えると、途端に状況が変わる。結果は推して知るべしだ。
この状況を何度か繰り返して、先生を意識しなくなったあたりから、球が前に飛ぶようになる。
これはとても極端な例だが、日常生活の中でもこうした緊張によるこわばりは常にある。
特に、集中して物事に当たっている時に起きることが多い。ずっと肩に力が入ったままになる。
鋭く集中して物事を考える。そのあとのタイミングだ。無駄に力が入り続けていると思う。
恐らく周りからはピリピリしていると見られている状況だ。心に余裕がなくメリハリもない。
でもふと思った。鋭く集中している時は、本当に肩の力は抜けているのだろうか。
狭い部屋で悶々と効率を求めていないだろうか。広がりのある共存共栄が描けているだろうか。
やはり無駄に力が入っているような気がする。もっと周囲の力を引き出すことができるはずだ。
広がりとは多様なことを取り込むことだし、世の中には自分の知らないことの方が多い。
自然体をまとう。これが究極の「肩の力を抜く」ということのような気がしてきた。
硬さはなく、周りの動きや感覚を捉えて、柔軟かつ自然に、考えや動きを変えていく。
もしかしたら、自分の考えを無くすことかもしれない。考えないのではなく、常に変化させる。
常に自分の考えだけど、少し前の考えとは常に変わる。こんな感覚をしばらく試してみたいと思う。