超一流へのこだわり

普段、仕事をしているといろいろなジャンルのプロフェッショナルに出会う。
最近では、コンサルタント時代にはあまり出会うことの無かったプロにあう機会が多い。
ランドスケープ、ライティング、キュレーター、文化施設、学芸員などである。
領域は違うが、プロだなと感じる方々からは何か共通点のようなものを感じる。

どこか遠くを見据えていること。そして、こだわりがあることだ。なかなか凄い。
おそらく、実現したい世界観がある。さらに、その世界観をどう表現するのかを常に悩んでいる。
足元の活動においても、自らの動きはその世界観を目指している。周囲も巻き込もうとしている。
向きの違う取り組みに対しては、敏感に反応して、確実に止めに入る。いく末を予想しているのだ。

その行動は周囲からなかなか理解されない。ともすると、偏屈なものとして捉えられる。
これは実現したい世界観が周りには見えていないことが原因かもしれない。理屈がわからないのだ。
目指す姿が、新しく、かつ高みを目指していればいるほど、この傾向は強いと思う。
そこにこだわっているのは、超一流の組み合わせが新たな世界を切り開くと信じているからだと思う。

超一流は、これまでの蓄積を必ず持っている。何かの土台の上に、自ら培ってきたものだ。
脈々と続いてきた型のようなものを持ちつつも、自らの色を存分に発揮していることが多い。
型を乗り越える、型の上に何かを組み合わせるのは容易なことではない。かなりタフだ。
下手をすると、壊してしまうだけだ。型の本当の意味合いを捉えていなければ到底できない。

こうしたプロフェッショナル同士の組み合わせが機能するのはそんなに簡単ではない。
言語になっていない部分も含めて、初期の会話が成立しないケースさえある。交わりにくい。
でも、世界観の共有ができ始めると、それぞれのこだわりが共鳴し始める気がする。
突然、スピードがあがり瞬く間に組み上がっていく。結局、超一流は互いに引き合うと思う。