紆余曲折。

小さい頃はとにかく身体を動かすことが好きだった。勢い遊びが過ぎて、よく怪我もした。
両祖父が医者、父が薬づくり、母が薬剤師をやっていたので、医者になろうと思っていた。
でも怪我ではなく、大きな病気を直す医者になりたいと思っていた。ブラックジャックな感じだ。
ある時、その想いは突然無くなった。自分の血は見慣れていたのに、他人の血はだめだったからだ。

その次に考えていたのは、親戚が営んでいた法律家の仕事だ。医術が無理なら法律でと思ったのだ。
特に、なんらかの理由で辛い立場になっている人などを、なんとかできないかと思っていた。
企業間の争い事ではない。法律で個人を救うことがしたかった。でも六法全書は好きになれなかった。
結局、高校で大学の推薦入学を決める際、この想いは実現されることなく、仕舞われていった。

選んだのは、理系の材料工学科という学科だった。金属工学科からリニューアルした学科だった。
決め手はやはり、算数や数学、そして実験が好きだったこと。原理原則を見たくなったからだ。
その当時、超伝導体、炭素繊維強化樹脂など、新材料の開発が盛んに行われていたのも良かった。
材料の革新を起こせれば、世の中に様々な形で貢献できると思い、大きな可能性を感じていた。

意気揚々と大学に入学した。高校にも増して自由があったためか、いつのまにか材料から離れていた。
サークル、バイト、車・バイクなど、楽しいものがたくさんあった。どんどん夢中になっていった。
特に、イベントプロデュースサークルは面白かった。自作の舞台をたくさん作ってイベントをやった。
コンサートやトークショーも企画して、芸能人や有名人とも接点を持つという経験もした。

大学4年の卒論辺りから、また少しずつ感覚が変わっていった。再び材料に興味が湧いてきたのだ。
とはいえ、やってみるとそうたやすく新材料などできない。実験もうまくいかないことだらけだった。
なんとか卒業はできた。就職も考えた。でも、材料の世界で成果を生み出してみたいと思った。
そして、10年携わり博士号を取得したが、何かモヤモヤする気持ちがあった。次の道に踏み出した。