都会の価値

一番最初に思い浮かぶのは「便利」という言葉だ。移動も食事も遊びもなんでもある。
選択肢に困らない。それどころか、あり過ぎて選択肢を知ることすらままならないレベルだ。
例えば、レストラン。何十カ国もの料理の専門店がある。もちろん行ったことのない国のもだ。
移動も地下鉄、JR、バス、シェア自転車、タクシー、自家用車、バイクなど選び放題だ。

次に思い浮かんだのは、人の数だ。コロナ禍で様変わりしたものの、それでも人は多い。
深夜でもない限り、自分の周りを見渡せば、簡単に10人くらいを見つけられる。
車の数も多い。日中は渋滞もあって、平均時速は15kmくらいまで落ちる。時間が読みにくい。
夜、高層ビルに登って、地面を見下ろすと、テールランプの赤い光が数珠繋ぎになる。凄い数だ。

病院など生活に必要な施設も充実している。いわゆるその道の大家の人も見つけることができる。
どんな病気でも都会にいたら安心だ。凄腕の医師が最先端の設備ですばやく治療してくれる。
リハビリや介護などのサービスも充実している。費用が高いという欠点はあるもののこれも安心だ。
デリバリーなどの選択肢も充実していて、家から出なくてもまったく困らない生活が可能だ。

要は、都会にはどんな状況にも対応可能な受け皿が揃っている。懐が深いといってもよい。
でも、少ないものもある。例えば、自然だ。静けさや清々しい空気もだ。地上での視界や空も狭い。
都会には、変わるがわる誰かが必要になるものが、その需要総量に合わせて準備されていく。
一方で誰もが欲しいものは多様かつ沢山のものに埋もれて、目立たなくもしくは見えなくなっている。

これからどこに住むのがよいのだろうか。都会なのか、それとも流行の2拠点生活だろうか。
合理的に言えるのは、活動量が高い、つまり元気なうちは都会に住む必然性はないということだ。
リモートでの対応も社会的に受容された中、必要なことがある時だけ自分で移動すれば良い。
一方、活動量の低い方には廉価な都会がいる。大きな対価は自然に払うという常識も合わせて作りたい。