イメージを描く。

何事かを成し遂げようとする時、まず考えることはなんだろうか。
何ができるかだろうか。何がしたいかだろうか。それもありだと思う。
でも、なぜか最近はどんな世界を生み出したいかを考えることが多い。
ありたい世界を思い描くことからすべてを始めている気がしている。

ではありたい世界とはなんだろうか。別にユートピアを作りたいとは思っていない。
ユートピアはさぞ素晴らしい世界なのだとは思うが、具体を描くのが難しい。
いいこと、あって欲しいことだけが詰まった社会という感じだろうが、リアルに感じない。
やはり、多様な人が「それいいね」と言ってくれる世界がありたい世界なのだと思う。

多様な人のいいなを実現するには、多様の人の感性を理解することが大事だろう。
理解した上で、その中から最大公約数てきなもの、違う言い方をすれば本質を炙り出す。
要するにみんなが求めるものは何かを探し出すのだ。ここで困ることもある。
自分だけが欲しいものを得たいという気持ちだ。それがあると本質にたどり着くのが難しくなる。

みんなで分かち合いたい。この感覚さえあれば、本質を炙り出すことができると思う。
それぞれの持つ力を出し合って、組み合わせて、みんなが良いと思うものを創り出す。
それに貢献したのだから、色々な形で貢献したのだから、それぞれに感謝の気持ちを伝える。
対価の分配という形はもちろんだが、次も一緒にやろうという約束もあると思う。

みんなが良いというものを心の中に描き、それを言語化する。それをみんなと揉んでみる。
できたら絵にしてみる。絵を見ながらさらに揉んでみる。すると、みんなのやりたいことになる。
次はやってみるだ。イメージを現実の社会に投影する。実装しながら微調整をかけていく。
これを繰り返し、ありたい未来を切り開いていく。イメージの力を信じて対話して進めていく。