電車の乗換の話をしたいわけではない。どちらかと言えば、人が何かに乗り移ることを考えている。
似た言葉に憑依がある。以前からたまに頭に浮かぶ言葉だ。霊が人に乗り移るという状態が一般的だ。
でも、国語辞典を引くと、憑依の一番最初の意味は、「頼りにすること。よりどころにすること」だ。
どうやら憑依して力を貸して欲しい存在のことを捉えた「憑依」のポジティブな使い方のようだ。
色々なモノに憑依したり、乗り移ったりしたら、色々な価値を生み出せるような気がしている。
バイクに乗り移ったらどうなるだろうか。バイクの気持ちを体験できるという意味だ。
路面を捉えて走っている時、タイヤはどう感じているのか。ブレーキをかけたらどんな気持ちか。
バイクを傾けた時、「まだまだ行ける」なのか「そろそろもたないよ」なのか。感じてみたい。
車も同じだ。例えば、サーキット走行。素人とレーサーの運転の両方を比較してみたい。
素人のぎこちなさと、レーサーの「車や路面との対話」との違いを体感できたらなんて凄いだろうか。
ヒートマップ的に車両の各所の負荷を視覚化する。できたら、乗り移った感じで加速度を感じたい。
四つん這いになり、両手の平が前輪、両膝が後輪。背中から圧力をかけてみたらできるだろうか。
ここまでは、1つのモノに乗り移って体感するという話だった。もう1つやりたいことがある。
たくさんのものに次々に乗り移っていく体験だ。車やバイクだと危ない。だから移動しないものだ。
例えば、カメラとマイクとスピーカーがついた機材が街のいろいろな場所にあったら面白い。
その機材の前に人が来たら、その状況が伝わってきて話しかけられる。対話が弾む。
困っている人がいたら、こちらから話しかけてみるのもよい。手は出せなくとも役には立てると思う。
その際、自動お知らせ機能が欲しい。これがあれば、1人で色々な場所をカバーできる。
例えば、30箇所に繋がれるとする。それを全てじーっと見つ続けているのは不可能だ。
分身可能なAIをアシスタントにしておけば、出番を教えてくれる。こんな社会を生み出していきたい。