分かち合う。

有限のものといえば、エネルギーなどが典型的だ。石油には埋蔵量がある。
太陽光などは無限のように感じるが、人と違う時間感覚で有限の寿命を持つ。
地球上で全人類が生きる上で、どのくらいのエネルギーが必要なのだろうか。
人口が減っている地域もあるが、急速に増えている地域も存在している。

エネルギーだけではない。食料は生きる上では細胞の維持に不可欠なものだ。
3大、5大要素と呼ばれる栄養素がないと、人は健やかに生きていくことはできない。
日々作られてはいるが、無限ではない。需給のバランスが狂ったら瞬く間になくなる。
過去にエネルギーで戦争が起きたように、食糧もまた戦争の火種になってもおかしくない。

分かち合うといっても、一人当たりの量の問題が立ちはだかる。現時点でもバラバラだ。
新興国や紛争地域では暖かい場所で、温かい食事をとることなどできていない。
一方で、先進国では当たり前のように、シェフが作った料理をいただくことができる。
普段は意識できていないが、明らかにそうした格差がある。資本が勝敗を決めている。

分かち合うにはある程度の量が必要だろう。人口が増えているのだから、供給を増やす技がいる。
多様な供給源を持ち、バランスよく使っていく。供給が持続させられるだけ使っていく。
常に長い目で未来を眺めながら、足元の供給を整えて、需要を、少しの余裕を持って賄う。
これまでは個の利益が優先された時代だった。これからは個と社会が同じ優先度なのかもしれない。

ベーシックインカムが必要だ。そんな議論もある。生きるために必要な部分は担保する。
そんな考えだろうか。何を大事とするか。大事と決めたものをみんなの力で守る。
社会にとっての共通認識が今まで以上に大事になってきたような気がしてならない。
でも、個には不満足も溜まっている。分かち合う世界はどう切り開くのがよいのだろうか。