標準化。

辞書で引くと、製品・資材などの種類や規格を、標準に合わせて整えること、とある。
つまりは、標準化とは同じ種類や規格に合わせて商品やサービスをつくることだ。
故に、できた商品やサービスには、作り手に依らず、同じ部分が存在することになる。
これにより、消費者に様々なメリットが生まれる。これが標準化を後押しした。

例えばUSB。なんにでも付いているので、どんなものにでも電気を供給できる。
電気どころか、音楽はもちろん、各種データも同時に送ることができる。とても便利だ。
さらに、これから生まれる新たな商材も標準に合わせることで、すぐに使うことができる。
いつでも、その標準が作り出した世界に加わることができるのだ。広がりがある。

標準に加わる作り手側にもメリットがある。標準にした部分の設計が不要になることだ。
少なくとも人では掛からなくなる。コストに関しては標準を使うのに掛かるコスト次第だ。
では、標準の作り手の動機はなんだろうか。世の中に便利をたくさん生み出したいからだろうか。
類似のものを作るという無駄をなくしたいからだろうか。では利益を追求していないのだろうか。

間違いなく言えることは、標準に関連する市場は大きく育つということだ。消費者が選ぶ。
では、市場が大きくなっても、色々な人々が参入するので、標準の作り手の取り分はあるのだろうか。
でも、実際のところ、標準の作り手はそこで大きなシェアを持つことに成功している場合が多い。
なぜ、成功しているのだろうか。成功している会社はどんな工夫をしているのだろうか。

USBは単純な製品だが、世の中の商品やサービスはとても複雑になってきた。そこの一部が標準だ。
商品やサービスを作り上げるにも時間が掛かるし、全体を理解することもなかなか難しい。
故に、標準を作った企業だけが持ちうる情報がある。また、それらの企業だけが早く情報を得られる。
情報の時間的有意があるのだ。標準は何年かで更新される。そこでまた優位ができるというわけだ。