使える情報量は飛躍的に多くなっている。それも10倍やそこらの話ではない。
インターネットが出来て、何桁か情報検索のスピードと量が変わったと思う。
自動翻訳もできて、英語圏にとどまらず、どんな言語の情報が手に入る。
最近では流行りのChatGPTが登場してさらに何桁も変わった。勝手に纏めまで作ってくれる。
誰と話しても、知識量が凄い。今まで知らなかったようなローカルニュースも知っている。
一方で、注目されたニュースとそうでないニュースの認知度は天と地くらいに異なる。
大量の人たちの興味が共鳴し合うかのように集中する。そうでなければ誰も取り上げない。
必要なものを調べるという感覚ではない。情報が勝手に入ってくるという感覚だ。
やっぱり少し情報に踊らされていると思う。情報から離れると不安になることすらある。
情報に触れる時間が長いと、どうしてもそこに書いてある情報をなぞることになる。
その情報の背景に隠れる部分など情報の洪水の中で、気に留めることすらなくなってくる。
そうなると、もはやメモリー機能に近くなる。話についていくために覚えているだけだ。
一方で、情報に無頓着な人もいる。自分の極めたい領域があって、我が道を突き進む。
そんな人でももちろん、情報に触れる。でも、疑問を持ってから触れる点が異なる。
解決したいこと、壁をこえるのに必要なことを見つけにいくという感覚だと思う。
今の時代はとても便利で、解き明かしたいこと、その仮説を入れればすぐにヒントが見つかる。
情報とは自分の世界観を形成する上でとても大事なものだと思う。ならば自分で選択したい。
まずは自分で考え、答えを作る。その答えをどう捉える人が多いのかを情報から読み解く。
多様性の中で、独りよがりにならない自分が主語の世界観を、少しずつ積み上げていく。
主語は自分だ。地球や社会や人の中の自分だ。情報との付き合い方を考えてみたいと思う。